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2017.11.08

本田宗一郎、松下幸之助…そして鬼塚喜八郎

皆さまこんにちは。今週のブログを担当させていただく荻田です。

最近家族で日曜劇場の「陸王」というドラマを見ているのですが、
非常に面白く、“新製品・生みの苦しみ”が豪華なキャスト陣で描かれております。
さっそく話が脱線しましたが…そのドラマを見ていて、
ふと思い出した企業があり今回のブログを書こうと思いました。

タイトルにある人物の名前ですが、ほとんどの方が先の2人しか分からないのではないでしょうか。

本田宗一郎は本田技研工業の創業者、
松下幸之助は松下電器(現パナソニック)の創業者で、
“経営の神様”とまで謳われた、日本が世界に誇る実業家です。
そして、さすがに世界的な知名度は前述の2人には劣りますが、
今回書かせていただきたいのが3人目の鬼塚喜八郎(現アシックス創業者)とアシックスの歩みです。

本田宗一郎、松下幸之助…そして鬼塚喜八郎

アシックスと聞いて、思い浮かべるキーワードは人それぞれかと思います。

昔、部活でスパイクを履いていた!
イチローが履いている
映画キルビルで有名なスニーカー
等々…。

筆者個人の印象としては、
“最近はオシャレ・ハイテク路線も強化していて、タウンユースのユーザーが増えたなあ“
”先日原宿に旗艦店がオープンしたなあ“
といったところです。

そんなアシックスですが、創業は太平洋戦争後の1949年、
鬼塚喜八郎が神戸で立ち上げた鬼塚商会を起源に持ち、
晩年のインタビュー記事では、
“焼野原の神戸の町を裸足で歩く子供達を見て、安全な靴の製造を思い立った”
と仰っていました。

その後、学校指定の運動靴を作ったり、バスケットボールシューズの製造に着手したりしながら、
一挙にその知名度を高めた出来事が、1956年のメルボルン五輪における日本選手団公式シューズへの抜擢です。

その後はランニングシューズのメーカーとして信頼性を高めながら、
1960年代にはNIKEの前身であるブルーリボンスポーツ社がアメリカでの輸入販売代理店契約を結び、
北米でも知名度を上げていきました。

あまり知られていませんが、
今では世界一履かれているブランドであるNIKEが、創業時はオニツカタイガーを売っていて、
しかもNIKE初期の名盤「コルテッツ」が実はオニツカ製である――
そんなブランド・企業が今も健在であること、
スポーツだけでなくファッション分野においても今も最前線であることを、
日本人として非常に誇らしく思います。

何気なく履いていた方、今度買うスニーカーのブランドを悩んでいる方は、
ぜひお近くのオニツカタイガーやアシックスタイガー店舗に行ってみてはいかがでしょうか。

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